戸田幸紀の鬱ちゃんバイブル #2|優しさとは技術なんだ!

こんにちは。

“うっちゃん”(ポップな鬱を抱える人)27年目、戸田幸紀です。

先日80万円かけてICLをしました。

視力2.0を獲得したものの両目の異物感は拭えません。

視力が良くなったことでプラス1。

80万という大金が飛んだことと、毎日感じる両目の異物感でマイナス2。

総じてマイナス寄りの出来事でした。。人生は小さな絶望の耐久ゲームです。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「女の子の好きな異性のタイプ」で必ずと言っていいほど上位に挙がるだろう男性の特徴、優しい人

 

そもそも、優しさを相手に求める時点で自律心に欠ける歪んだ性根が窺えるものの、今回ばかりはこの“優しさ”について考えたいと思う。

 

結局のところ“優しい”ってどんな人のことを言うのだろうか、、

絶妙な相槌を打ちつつ、オチの無い退屈な話を最後まで聞いてあげる事?

財布すら入っていない、奢られて当然というメンタリティが詰まった小さなカバンをそっと持ってあげる事?

季節感のない、薄着で来る無計画な女性に対して上着を貸してあげる事?

 

正直全てしっくりこない、、“優しい”ってなんなの?と。

それは“優しさ”を提供する方もされる方も。やってて(もしくはやられてて、)恥ずかしくならないの、、?そう考えてしまう。

 

かくいう私もかつて、いい感じになった女の子に着ていたダウンジャケットを貸してみたことがある。

理由はシンプルに寒そうだったからだ。

でもすれ違う同い年くらいの男の子にささやかれた「かっこいい」という冷やかし混じりのささやきに絶望した。

僕はなんてことをしてしまったのかと。。

穴があったら入りたい。無いなら掘ってでも入りたい。そんなことを舗装されたコンクリート路地の上で思った。

同時に、二度とこんなことはしないと固く誓い、何があっても凍える女性は見殺しにすると決めた。

常にだれかが見ていることの証明だった。

 

一方で、“優しい人”を否定する様な事は絶対にあってはならないとも思う。

親切は美しいのだ。

 

ただ僕が言いたいのは、

「それ本音か?」、

「本心でやった事なのか?」、

「本心でやってるなら気持ち悪いぞ?」

という事である。

結局のところ嘘をついているんじゃないのかよと。

 

“優しい人”には自然と人が集まる。

嘘つきに人が群がるのだ。羨ましいと共に違和感が沸々と沸くのだ。

 

 

僕はこの自分の醜さを消化する為に考えに考えた挙句、一つの解にたどり着いた。

それは“優しさとは技術である”という事である。

 

本音を押し殺し、自分をだまし、嘘で固めた言葉で相手に寄り添ったふりをする。

それこそが“優しさ”なのではないだろうか。

そしてそれはもはや、間違っても根本的な人間の素質では決してない。

積み重ねた経験がなせる“技術”そのものなのである。

 

敢えて断言しよう。

自分をだまし続ける“忍耐”と蓄積された“技術”、それこそが“優しさ”の根源である。

するとどうだろう。

これまで疑いの目で見てきた親切人もどきの偽善者たちを、洗練された技術を有する努力家に見えてはこないだろうか。

彼らに対する疑念や僻みの気持ちが、尊敬の念に変化してはこないだろうか。

 

この解にたどり着いてからというもの、僕はこう考えてしまう。

人に親切を施された時、その瞬間、「この人優しいな。」ではなく、

「この人技術高いな。」と。。。

そして「ありがとう」ではなく、「流石ですね」とお声がけするようになってしまった。

 

僕は今日も独り。

“うっちゃん”は皆、総じて技術が低いのだ。。。

 

戸田 幸紀

タイトルとURLをコピーしました