戸田幸紀の鬱ちゃんバイブル #5|3歳児にだって優劣はあるんだ!

こんにちは。

“うっちゃん”(ポップな鬱を抱える人)27年目、戸田幸紀です。

鬱というほどには重くない。でも心はとっくに限界を迎えている。

シリアスではなく、ポップな鬱人のこと、そんな人を僕は“うっちゃん”と呼んでいます。

 

僕もアラサーになり、今年から親戚の集まりでは、いつしかお年玉を貰う側から渡す側へと変化していました。

ある程度経済的にも余裕が生まれ、一種のイベントとして楽しみにしてしていた部分もあり、お年玉を渡す事で、自分の中の何かが満たされるのではないかと一片の期待を持っていたことは否めません。

 

しかし今年の正月、「ありがとう」と淡々と受け取る遠い親戚の子どもを見て、自分の中で何も変化がない事に悲しみを覚えました。

「こいつ全然可愛くねえな」、、と。

きっとこんな事を考えてしまう僕の心は薄汚れています。

今回はそんな幼い子供に対する一つの考えを是非皆様に共有できればと思います。

 

 

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友人や親せきであろう30~50代くらいの女性が会って開口一番、3歳くらいの子どもに対し、必ずと言っていいほど浴びせるセリフ、「かわいい~~!!」。

よく駅や公園、ショッピングモールなどで見かける日常の光景だ。

 

僕はそんな光景に出くわす度に思う事がある。

「その子そんなに可愛いか、、?」

こんな感じのことを。。。。

 

改めて文字にすると自分がいかに器の小さな人間か痛感させられる。

でも今回ばかりは脇に置いといて、僕の価値観を皆様に提起してみたい。。

 

結論何が言いたいかというと、

3歳児にも優劣があり、残念ながら可愛い子とそうでない子がいる。

そして可愛い子であったとしても、その瞬間、その瞬間で適切な振る舞いが求められると思う。

それが日本社会という厳しくて息苦しい環境のはずだ。

全員、脳死になってないか、、、そう提起したい。

 

言う方は3歳という可愛さの絶頂期にいる子供に対し、とりあえず言っておけば良い的な安直な考えは無いのか、、?

言われる3歳児も毎回の賞賛に対し、どんな顔面の持ち主であっても、いつしか自分を“可愛い子”としての自覚の下、周囲にある種、調子に乗った振る舞いを行ってはいないのかと、、?

 

敢えてもう一度言及するが、この考えはいかにも器が小さい。

「子供なんだから良いじゃないか」というのがこの問いの最適解だとも思う。

でもどうしても引っかかる。そんな甘い世界じゃないだろと。。

 

そしてその考えは、巡り巡って自分へと降りかかる。

 

可愛くもなんともない、下降の一途を辿るただの27歳の僕は果たして周囲にどう見えているのだろうか。。。

 

人とコミュニケーションを取る際、果たして適切な振る舞いは出来ているのか、、

どこか勘違いをした振る舞いは行っていないのか、、

ちゃんと客観視した自分で居られているのか、、

 

3歳児という免罪符の無い自分はただのおっさん。

より洗練されたクオリティが求められる。

いついかなる時も甘えは許されないのだ。。。

 

“うっちゃん”はいつだって自分の首を自分で締めていく生き物なのだ。。

 

 

戸田 幸紀

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